9月から本格的な有料サービスが始まったアップルの定額制音楽配信サービス「Apple Music」。膨大な数の音楽が月額980円を支払うだけでiPhoneやPCで好きな時に聴ける便利なサービスには、新しい音楽の体験として、また新たな音楽ビジネスの収入源として、業界やメディアそしてユーザーから注目を集めています。
6月30日に始まったApple Musicはユーザー数は公表されていませんが、アップルはこれまで培ってきたiTunesビジネスを進化させるべく、24時間ラジオ「Beats 1」やアーティスト向けのソーシャル機能「Connect」など新しい取り組みを展開して、新たなユーザー獲得を目指しています。
ただ当然アップルという企業文化のため、彼らがどんな戦略を立てて実行しているのか、多くの部分は発表されるまでユーザーやメディアには届くことはありません。ですので、今回はこれからApple Musicがどんな領域を狙っていくのか、予想してみた上で、今後のApple Musicの方向性と定額制音楽配信ビジネスの関係を考えてみたいと思います。
まず、Apple Musicの未来を探る上で、興味深い求人がアップルのサイトに現在掲載されています。それらは、「編集長」、「オリジナル・コンテンツ戦略およびライブ・プロジェクト」担当者、そして「オリジナル・コンテンツ専門ビデオ・プロデューサー」です。
1. 編集長
アップルも一般的に募集しているのはエンジニアやデザイナー職または販売や流通に精通した専門家です。まず「編集長」職の概要には
Apple Music、iTunes、App Storeのマーケティング用コピーライティングおよびポップカルチャーに関する執筆を行うライター陣を統括する経験あるリーダー職
とあり、音楽サービスに関連する職種だということが分かります。
さらに募集職の内容を読むと、
「編集長となる人材は、メディアに適したスペシャリスト、ポップカルチャー専門ジャーナリストなど、音楽やアプリ、映画、本に熱中しストアを横断的にまたぎ記述的なコピーを書くチームを統括」するとも記されています。
アップルが音楽などコンテンツの届ける手法として、スペシャリストやジャーナリストなど生の言葉で表現できる人材を起用し、さらにそれらをまとめる立場に編集経験のある人間を置こうとしているのは面白い考えかもしれません。特にApple Musicは、音楽をキュレーションする専門家、いわゆる「プレイリスター」達の編集力をサービスのコアとして打ち出すほど、人のチカラという編集哲学を重要視しています。
Apple Music発表によって、アップル社内のコンテンツ配信のアプローチに「編集者」視点が求められるようになったと言えます。「編集長」を求めるアップルは今後、Apple Musicのキュレーターやジャーナリストを統括するだけでなく、アップルのコンテンツ・ビジネス全体において編集機能を重視する組織にシフトことで、iTunesストアや各種サービスがメディアのような情報発信を行う場に変化する可能性も考えられます。つまりApple MusicやiTunes、App Storeがコンテンツやアプリを提供すると同時に、独自情報も配信する一次メディアになることで、プラットフォームとパブリッシャーの機能を兼ね備える組織へ進化する時代が来るかもしれません。
2. オリジナル・コンテンツ戦略およびライブ・プロジェクト担当者
2つ目の募集職「オリジナル・コンテンツ戦略およびライブ・プロジェクト」担当者の概要を見ると
・エンターテインメント業界のトッププレーヤーと仕事ができる機会
・Apple MusicおよびiTunesにおけるコンテンツ・イニシアチブ、ライブ・プロジェクトの開発とプロジェクト管理
と書かれています。
同職が求める人材として、「ブランド/メディアでコンテンツ中心型プロジェクトの実績があるエンターテインメントやメディアビジネスの経験者」、「強力なネットワークがあり、過去にアーティストやメディア・エンターテインメントのコミュニティと仕事の経験があるライブイベントやオリジナル・コンテンツ製作者」、「戦略的エンターテインメント・マーケティング・エージェンシーや、マネジメント会社、プロダクション/ツアー運営会社、レコード会社、エージェンシーの経験は望ましい」、「ブッキング業務、アーティスト・リレーションは必須」など、かなりエンターテインメント業界に精通していないと受けられないほど難しい条件になっています。
オリジナル・コンテンツといえば、Apple Musicが提供している「Beats 1」があります。元BBC Radio 1のスターDJ、ゼイン・ロウ(Zane Lowe)による多様な選曲や、有名アーティストから注目される新人アーティストへのインタビューが有名ですが、Beats 1では彼の他にドクター・ドレーやファレル・ウィリアムス、ドレイク、St. Vincentなど有名アーティスト達がそれぞれが好きなジャンルやテーマに基づいたラジオ番組を届けてくれます。
またアップルはライブイベントとして「Apple Music Festival」(前iTunes Music Festival)を毎年開催しています。2007年から始まったロンドンのライブハウスで行うファン限定のライブシリーズには、今年もワン・ダイレクションやケミカル・ブラザーズ、Disclosure、エリー・ゴールディングなど著名なアーティスに加えてThe Weeknd、Leon Bridges、James BayなどApple Musicイチオシの新人アーティストたちが登場するといった、Apple Musicの盛り上がりや期待を高めてくれる内容です。
Apple Music FestivalではApple MusicやApple TVなどアップルのプラットフォームと最大連携し、ライブの配信、ステージ裏のアーティスト・インタビュー、DJたちによるアーティスト紹介や現場レポートなど、現地で参加できない世界中のファンにライブを届けてくれます。
オリジナル・コンテンツとは意味合いが違いますが、Apple Musicでは世界的なアーティストたちの曲やPV、アルバムを独占公開したり、先行配信する取り組みも行い、ファンにはいち早いコンテンツ供給を、アーティストにはプロモーション媒体としての場所を提供します。
.@Pharrell about to take the stage at #applemusicfestival… http://t.co/qffJi01H3U pic.twitter.com/oNXx5GvfAB
— Apple Music (@AppleMusic) September 26, 2015
Live Photos機能で撮影されたファレル・ウィリアムスのプロモ写真
募集する担当者職は、この流れをさらにステップアップさせて、アップルが今後はユーザーに価値のある独自コンテンツの開発に注力する戦略を推進するのでは、と予想されます。アップルはすでにiPhoneやMac、Apple TVといったデバイス、iTunesというストアというハードウェアとソフトウェアが融合したプラットフォームでコンテンツを提供しています。しかしこれまでのiTunesや映画では、サードパーティのコンテンツを提供する場所としてしか成立しません。しかしApple Musicが加わった今、音楽を取り巻くあらゆるフォーマットの高品質なコンテンツを作れる自由度が高まり、アップル哲学に基づくコンテンツ制作で差別化を図り利益をあげるプラットフォーム戦略に軸足を移していくかもしれません。オリジナル・コンテンツやライブプロジェクトを作り配信していくことは、クリエイターにとってもよい環境の提供につながるのではないでしょうか。
オリジナルコンテンツ制作がアップリでも重要視されれば、その情報発信者としてキュレーターやプレイリスターといった人の存在に価値が置かれるため、上述の「編集長」といった編集スキルのある人材を置く組織にもつながります。これまでのようにサードパーティのコンテンツを使い回す複製型のコンテンツ戦略から、受け手のファンを意識した良質な独自コンテンツの開発と、ファンとコンテンツを繋ぐ情報発信者と編集者が、アップルのプラットフォーム上で横断的に最適な形式で届けるメディア戦略へ進化することが、Apple Musicの先にあるアップルの未来かもしれません。
3. オリジナル・コンテンツ専門ビデオ・プロデューサー
その意味でアップルが募集している「オリジナル・コンテンツ専門ビデオ・プロデューサー」は興味深いです。募集ページには、「Apple MusicとiTunesの音楽ビデオプロジェクトに関する全領域をリードするビデオプロデューサー兼プロジェクト・マネージャー」とあり、Apple Musicで何かしらの動画に関するプロジェクトが動いていることを示しています。
音楽やエンターテインメント・サービスで動画といえば、ジェイ・Zが運営する定額制音楽配信「Tidal」が、参加アーティスト達の最新PVを独占配信したり、ツアーの模様を配信するなどがあり、Tidalでしか見れない動画配信に注力しています。また先日米国の大手メディアグループConde Nastに買収された独立系音楽メディア「Pitchfork」では、独自の動画コンテンツ制作チームを置いて、動画チャンネル「Pitchfork TV」を運営、ここでアーティストのインタビューやライブ、フェスのハイライトさらに企業とのタイアップによる広告コンテンツなどを制作し配信しています。
この他にも高品質なオリジナル動画作品で有名なNetflix、またはAmazon Prime Videoといった動画配信プラットフォームも独自コンテンツを戦略のコアとしています。またニュースメディアのハフィントン・ポストやViceなども、動画チームを設立し、社内でオリジナルのニュースコンテンツや広告コンテンツを制作しウェブやソーシャルメディアで配信しています。
動画閲覧は2019年には世界のネットトラフィック80%に拡大すると予想されるほど、スマホの普及に伴い広がる動画コンテンツの価値が高まっています。この流れからもアップルが新しいコンテンツ配信の手法として動画制作に本格参入することは十分に考えられます。
これまでの音楽業界での実績を考えると、アップルが音楽PVの制作を担うようになれば、業界関係者だけでなくメディアやファンからも大きな関心が寄せられることになるはずです。これによってアップルは、独自の動画チャンネルを設立するなど、独自コンテンツを軸にした新たなビジネスモデルを展開し、クリエイターへの利益還元も視野に入れているかもしれません。それもiPhoneやApple TV、Apple Musicを抱えるアップルだからこそ横断的にできる枠組みであり、クリエイターコミュニティには新しい収益源となるかもしれません。
Apple Musicの未来はプラティッシャー化
これらの人材が揃えば、Apple Musicはメディア機能とコンテンツ制作機能を兼ね備えた、巨大なコンテンツプラットフォームとなり、よりプラティッシャー化が進み、影響力を発揮するはずです。
コンテンツを消費傾向で分類すると、次のようになります。話題性や即時性の強くソーシャル性もあるコンテンツは、アップル独自の動画。継続的なファンを惹きつけるコンテンツは、いつでもどこでも好きな曲が聴ける定額制音楽配信のカタログ(とiTunesストアでのダウンロード購入)。他では見れないアップルオリジナルのコンテンツは、ライブイベント。このような図式にApple Musicを当てはめることができます。
Apple Musicの定額制音楽配信としての存在は、iPhoneやiPadさらに今後登場する予定のAndroidスマートフォン上で、いつでもどこでも好きな音楽へのアクセスを可能にしてくれるということが大前提。そして今後は、そこにアップルが制作した動画がどこよりも先に流れてきたり、アップルが企画するライブイベントを家族そろってリビングで見たりする時代が来ると予想できます。音楽情報はどのストアにも並ぶレコード会社のプロモーション担当が作ったコピーではなく、Beats 1のDJたちや、Apple Musicの編集者たちによる、人を介した音楽紹介や記事、キュレーションによってパーソナルレベルで届けられ、好きなアーティストの情報を深掘りしたり、知らなかった音楽に導いてくれます。
アップルの企業文化はご存知の方も多いと思いますが、完全な秘密主義のため発表されるまで、内部で何が起きているかも分かりません。従ってここに書いたことは、全て予測になります。ですが、定額制音楽配信の本命とまで言われて始まったApple Musicが求める人材やコンテンツを考えていると、今後の定額制音楽配信の分野がどの方向に進化するのか、未来の音楽ビジネスへヒントが見えてくるような気がします。
ソース
Apple Music
Apple 求人