シカゴに拠点を置く音楽メディア「Pitchfork」(ピッチフォーク)が、編集長の交代を発表した。Pitchforkを運営するメディア企業大手のコンデナストによれば、音楽メディア「SPIN」の編集長を務めるプジャ・パテル(Puja Patel)が新編集長に就任し、Pitchforkファウンダーで現編集長のライアン・シュライバー(Ryan Schreiber)はアドバイザーへと役割を変え、メディアの編集ビジョンやブランドのプロジェクトからイベント、新規事業に携わる。パテルはPitchforkでは初の女性編集長となる。彼女の正式就任は10月15日となっている。

パテルは2016年9月にSPINの編集長に就任した。彼女が指揮を取った初年度だけでSPINは読者数を14%増加させることに成功している。また彼女はSPINで調査報道やレポートを中心としたオリジナルストーリーを強化し、今では音楽業界に根付いた労働や差別などの問題を指摘する記事を取り扱っている。さらに、政治カルチャーを専門に扱うバーティカルメディア「Death and Taxes」も再始動させ、時代に寄り添った音楽メディアへとSPINを導いてきたその手腕がコンデナストに高く評価され、Pitchfork編集長職に至った。

Pitchforkが変えた音楽ジャーナリズムとメディアビジネス

1995年に10代だったシュライバーによって立ち上がったPitchforkは、「ローリングストーン」や「NME」など従来の音楽メディアが取り上げないインディーズロックのアーティストや、ニッチなジャンルの無名アーティストに寄り添った独特の感性とキュレーションや、時には批判も厭わずに賛否両論を呼ぶ音楽批評のスタイルで、1990年代以降の音楽ジャーナリズムに新たな可能性を示し、世界中の情報感度の高い音楽リスナーたちの支持を集めてきた。

また、雑誌が中心だった音楽メディアの世界で、いち早くウェブ専門の音楽メディアのリーダーとしての地位を確立。Pitchforkに続く数多くのの音楽ブログメディアの誕生や、老舗音楽メディアのウェブへの移行にも影響を与えるなど、過去20年の音楽メディア界で最も重要なメディアに成長してきた。

2015年にPitchforkはファッションメディア「Vogue」やテクノロジーメディア「WIRED」などを運営するアメリカのメディア企業のコンデナストに買収されている。

シュライバーの統括の下、Pitchforkは広告ビジネスで収益を得つつ、2006年から音楽フェスティバル「Pitchfork Music Festival」を毎年開催し、収益拡大とブランド強化に成功している。毎年7月にシカゴ市内で開催されたフェスは、過去5年で動員数が1万人以上も増え、3日間でおよそ6万人を動員している。また2017年からはニューヨークで音楽と食・ビールのフェス「OctFest」を主催し、80以上のブリュワリーを参加させている。

特にPitchfork主催のフェスは、早くからダイバーシティとインクルージョンの考えを取り入れ、ラインナップのジェンダーバイアスを減らすなど取り組みを実施している音楽フェスの一つとして知られている。

本業であるPitchforkのメディア運営は、35名ほどのスタッフで日々サイトが更新される。過去12カ月では、前年からトラフィックは65%、エンゲージメントは81%、動画ビュー数は4倍アップするほど、成長は続いている。これまで「Webby賞」を8度受賞、「ナショナル・マガジン・アワード」ではデジタルメディアとして8回ノミネートされ、音楽業界のみならず、メディア業界でもその評価は高い。

日本で唯一ライアン・シュライバーがPitchforkを語った記事が、2013年のWIREDに掲載されている。日本でも前WIRED.jpの若林恵編集長をはじめPitchforkに共感する音楽ライターやメディア関係者は少なくない。
理想の音楽レヴューとは何か?「Pitchfork」編集長が語る音楽メディアの未来(WIRED.jp)

Pitchfork初の女性編集長

新たに編集長となるパテルは、2013年に編集者としてジョインしたSPINを一度離れている。2014年頃から音楽メディアの「Wondering Sound」や、スポーツメディア「Deadspin」でシニアエディターを努めていた。

奇しくもWondering Soundは閉鎖。Deadspinは、運営会社のGawker Media(Gizmodo、Lifehacker、Jezebelなども運営)が、プロレスラーのハルク・ホーガン(と彼に資金援助した投資家のピーター・ティール)との裁判で敗訴し倒産。その後Deadspinを含むGawkerのメディアはUnivisionによって買収され体制が再編されることになった。SPINを離れた彼女はわずか2年あまりでメディア業界の混乱に相次いで巻き込まれる経験を得ているのだ。

ライターとして、ローリングストーンやワシントン・ポスト、VICE Media、FADERなど多数のメディアで音楽記事を執筆してきた実績がある。

「10年以上に渡る熱心な読者として、Pitchforkの示唆に富み踏み込んだ記事と、明確な音楽の審美眼に長年感銘を受けてきました。ライアンはPitchforkを様々な好奇心を持った音楽愛好家にとっての特別な場所へと育て上げました。舵取り役として彼のビジョンを拡張していくことに非常に興奮しています」と就任にあたってパテルはコメントしている。

パテルはニューヨークで低所得家庭やマイノリティの児童向けに音楽教育やDJレッスンを提供し、クリエイティブな制作活動を通じて自律を支援する非営利団体「Building Beats」の理事という一面も持つ。

Pitchforkは在籍年数が比較的長いライターや編集者が多い。前編集長のマーク・リチャードソン(Mark Richardson)は、1998年にライターとしてジョインし、編集長やエグゼクティブエディターを歴任するなど、20年以上も関わってきた。2000年代に在籍した元編集長Scott Plagenhoefも7年近く在籍してきた。

そんなPitchforkの中で、編集長の就任は大きな出来事である。

音楽業界の急激な再編が進む一方で、音楽を楽しむリスナーである我々を取り巻く音楽環境も急変し続けている。それは今の時代に知るべき状況を伝えるメディアの役割も同じだ。

ジャンルやスタイルの差別化や、テクノロジーとの融合が難しいといった話だけではない。音楽だけがあればいい時代の価値観は古いモノとなり、音楽文化は先が見えない現代社会の一部と同化しながら、常に時代の一歩先を進んでいる。テクノロジーやIT化の波を受けた1990年代から、政治やダイバーシティ、#Metooなど社会問題と隣り合わせな2010年代にかけて、多くの音楽メディアは音楽を断片的に捉えてきた。しかしPitchfork的な思想のメディアだけが、変化し続ける定義の無い音楽を文化の事情として捉え、継続的に追い続け続けて、新しい切り口の記事や批評を次々を作り出している。

それはもはやPitchfork流といった独自のメディア戦略で物語れないと感じる。時代の先を走ってきたPitchfork自体に、時代が追い付き始めたのだろう。だから新しいPitchfork編集長の今後には何かを期待したい。メディアにとって重要なのは生き残り戦略ではないはずだ。Pitchforkがそう言いたいようにも感じる。Pitchfork以降の音楽メディアが現代で一番クールなメディアだと思っている人は多いはずだ。

source:
Pitchfork Names Puja Patel Editor-in-Chief (Billboard)
Condé Nast Names New Editor in Chief of Pitchfork (WWD)
Pitchfork Names Puja Patel Editor-in-Chief (Condé Nast)
理想の音楽レヴューとは何か?「Pitchfork」編集長が語る音楽メディアの未来(WIRED.jp)
Pitchfork Music Festival 2018, By the Numbers (Pitchfork)
Pitchfork sold, but it hasn’t sold out (Poynter)
Photo:Conde Nast / The Zender Agenda via Flickr

Jay Kogami

執筆者:ジェイ・コウガミ(All Digital Music編集長、デジタル音楽ジャーナリスト)

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